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西洋近代を内面化した耳

好きなコード進行がいくつかあります。キーはAmで進行する中でいえば、Bdim→E7という流れ、Am→A7→Dmという流れ、Am→Dm→G7→Cmaj7→Fmaj7という流れなど。すごく一般的で、ポップスでもジャズでもよく使われる胸キュン進行です。きっと私だけでなく、多くの人が好きだから、多用されるのでしょう。

ところで、これらの進行がいいなあと思うのはなぜでしょう?生物学的に、あるいは神の力によって与えられた能力として、いいなあと感じる力が、人間には普遍的に備わっているからでしょうか?あるいは成育過程で感性が慣らされてしまっているからでしょうか? 古代や中世には東洋でも西洋でも多くの文化において、音楽は神の意思を表しているとされていたようです。つまり、ある特定の音楽の要素がいいなあと感じるのは、神の力ゆえだと考えていたのだろうと思います。現代であれば、普遍的な美があるという考え方は、この音楽観の末裔でしょう。 特定の音楽をいいなあと思う感性が生得的なものだと考えるのは時代遅れな感じがするし、かといってすべて成育過程で後天的に身につけたものだと考えるのも実感に合っていない気がします。 だから、どっちもあるなあ、というのが正直な私の実感です。文化によって感性が支配されているのだけど、支配される要素は生まれつき私の中にある、という感じかな。もともと私の中にある要素っていうのは、チョムスキーのいう普遍文法みたいなもんかな。私の中にある普遍文法には無数の形態の可能性があるけど、ある特定の形態のみが、成育過程の中で文化の影響を受けて強化されてきた、ということなのではないかと思うんです。

そうだとして、このコード進行はいいなあ、と感じることに対して、私はどのような立場を取ったらいいのかなあ?と考えます。1.いいと思うんだからそれでいいやん、2.そういう感性もいいけど、他にもこれいいやんと思える感性を磨きたいな、3.もっと他にありえる音楽に対する感性を邪魔しているかもしれないから、私の今もっている感性を疑ってみようかな。ざっとこんな選択肢。さあ、どう考えましょうか。

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