「すごいジャズには理由がある」(読書感想文)
完璧を求めるジャズプレイヤーを、完璧を求めるミュージシャンが語ると、こういうことになる。岡田暁生、フィリップ・ストレンジ『すごいジャズには理由がある』(アルテスパブリッシング、2014年)。WEB動画も駆使してジャズの魅力を追求できる本で、すごく勉強になる。...
音楽をめぐる文化的価値と経済的価値の対立
前回は、ミュージシャンたるもの著作権は意識しなければいけないもので、私のようなド素人でも結構なプレッシャーになっているという話をしました。 著作権というのは、考えてみれば面倒くさい権利です。 作者や演者が限られた人であった時代、あるいは作者や演者というのは限られた特別な人た...
いつも気になる著作権の問題
音楽が、聴く側と演奏する側に分かれる時代から、音楽シーンにすべての人が参加する時代へと移行しつつある、という現状認識を述べました。 その現状認識の上で問題にしたいこととして、音楽の能力と遺伝との関係を検討しました。考えたいことがもう一つあります。著作権の話です。 ***...
うまく表現できないからこそ、おもしろい
前回のブログで、表現することの「おもしろみ」について触れました。 今回はその「おもしろみ」とは何かということについて考えたいと思います。 「表現する」とは、内面にあるものを外化することだと説明してきました。その説明は間違いではないはずですが、ほとんど意味のない説明だという気...
「よい音楽」の観念から、表現することの価値へ
「音楽の能力は遺伝によって決定される」という科学的知識が、文化的に恣意的な「よい音楽」の観念に依存していること、したがって「よい音楽」の観念を批判的に意識化する必要がある、ということを述べました。 今回はその結論として、すべての人の音楽が平等に扱われる音楽観がめざされる...
「よい音楽」の観念に対する批判
以前の記事で、「音楽の能力は遺伝的に決定される」という科学的知識について、批判的に検討してきました。この知識には、文化的バイアスが強くかかっているのではないか、という批判です。 *** 例えば、スウェーデンでの研究に次のようなものがあります。...
「音楽の能力」の文化的バイアス
「音楽の能力は遺伝によって決定されている」という科学的知識には、強い違和感があります。「音楽の能力」としてどういう要素を切り出して判定しているのか、というところに疑義があるからです。 学校での音楽の成績の良し悪しなどで「音楽の能力」を判定されたらかないません。まして「あなた...
音楽の能力ってなんだろう?
音楽が、聴く側と演奏する側に分かれる時代から、音楽シーンにすべての人が参加する時代へと移行しつつある中で、問題になる2つのことについて考えをメモしておきたいと思います。 1つは音楽の能力と遺伝との関係、もう一つが著作権の話(こちらは追々)です。 ***...
足元がぐらつく一方通行の音楽
演者と聴者に分かれて一方通行の形式で生産され消費される音楽は、少しずつ足場がぐらついてきているようです。 音楽を演奏する人とそれを聴く人に分かれているという状態は、レコードやCD、テレビなどを媒体とする経済的価値を伴う商業的音楽シーンと深く関連しています。その前は、コンサー...
音楽表現の一方通行を乗り越えたい
音楽をするとき、自分自身が最大限に表現することが大切だと思うのですが、それが他者の表現を奪うことになっているかもしれない、と感じることがあります。 演者がいろいろな人たちの前に立って演奏、演者の前にいる人たちが演奏を聴いてくれる。多くの場合、それで完結してしまう、というと...