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「すごいジャズには理由がある」(読書感想文)

完璧を求めるジャズプレイヤーを、完璧を求めるミュージシャンが語ると、こういうことになる。岡田暁生、フィリップ・ストレンジ『すごいジャズには理由がある』(アルテスパブリッシング、2014年)。WEB動画も駆使してジャズの魅力を追求できる本で、すごく勉強になる。

これまでになかった演奏をしようというジャズプレイヤーたちの意欲が生み出した音の魔法を、理論的に枠づけてきたのがジャズの歴史なんだということが、よくわかる。「ここでこの音を使うとおもしろい」という感覚の蓄積が、新しい音楽理論を生み出し、さらにそれを足場にして新しい音の世界が開かれる、というサイクル。 そうしてジャズの構成も音も歴史も深みを増していくのだが、その一方で、その繰り返しも飽和してくるし、複雑化していけばいくほど聴き手には受け入れられなくなっていく。輝きと滅亡のアンビバレンスがジャズの魅力の一部なのだという気がした。 ジャズに親しむ者として、アマチュアであっても、慣れ親しんだ感性、指の動きに満足していたらジャズは死ぬと、改めて感じた本でもあった。あえて変な音を出してみる勇気、その変な音をおもしろい音に変えるための努力、これがジャズの生命線なのだ、と。 でも、おもしろさに回収できる変な音は、先人たちがすでに使っていて理論化までされている。だから、結局のところ先人たちの真似をすればいい、という話になってくる。少なくとも先人たちのレパートリーを学び、それを使いこなせるようになった上で挑戦をするのが王道、ということになる。とはいえ、その王道って、プロでさえ手詰まりなんじゃないか。この道は、ほとんどの場合、「パーカーっぽい演奏」「エヴァンスっぽい演奏」「っぽい演奏」に行きついてしまう。個性が輝く本来のジャズに至るのは、世界中でほんの数人、という世界だということになるんじゃないか。 もちろん、そういうジャズ観があってもいいし、そういう世界にも魅力を感じる。でも、それだけではないような気もする。 ある「変な音」を使うときに、理論武装して死ぬほど練習をしてその音を使えるようになるのと、思い付きでその音をめぐって遊びを展開して、結局使いこなせるようになるのとでは、まったく意味が違う。少なくとも後者には、その音をめぐって遊ぶ楽しみがあり、その音を使えるようになった喜びがある。 作品としてのジャズの完成度という観点、あえて言えばモノとしての音楽の観点からは、死ぬほど練習をして使えるようにするのが正解なのだろう。 しかし、コトとしての音楽、つまり能動的に参加したり、誰かと一緒に楽しんだりするという観点からは、音をめぐる遊びの要素に価値があるのではないだろうか。 偉大な先人たちは、死ぬほどの練習と音を使った遊びとが日常的にミックスしていたのだろう。ストイックとクレイジーの両立。そういう世界はすごいけど、私の世界ではない。 あれこれ考えていると、最後は練習しないことの口実になってしまう(苦笑)。適度に勉強して音の背景を知りながら、遊び心こそがジャズだという価値観を大切にしていきたいと思う。 この本をめぐっては、まだまだ思ったこと、書きたいことがたくさんある。気が向いたら続きを書こう。

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