雅楽に聴きいってしまいました
生まれ持った音楽の普遍文法を下地に、文化からの影響で特定の形態の音楽性が絶対的な基準として固定されていく。その結果、同じ文化を共有している人の間では、「この音楽いいよね」という共感が生まれるが、同じ文化を共有していない人には、訳のわからない音の羅列でしかないということが起こりえる。前回はざっとこんな感じの内容を書きました。 私は平均律や3拍子や4拍子といった西洋音楽の諸要素をあまりにも「絶対的な基準」として内面化しているので、そうした要素を持っていない音楽に対して、感受する力がとても弱いと感じます。例えば雅楽。 https://www.youtube.com/watch?v=_zq-J-crQDc 気持ちを入れて聴くと、うん、思いのほか、なかなかいいですね。12:45頃なんてちょっと迫ってくるものがあります。いいなと思っていることに驚いている自分がいます。とはいえ、なかなか気持ちを入れて聴く機会もないし、のめり込むまでには程遠い。せいぜいBGMかなあ。 選んで聴くなら、雅楽よりはクラシック、クラシックよりはポップス、ポップスよりはジャズという序列なんです。これって勿体ないことなのかどうか。もっと雅楽を感受できる耳があったほうが、私の生活は豊かになるのでしょうか。