音楽表現の一方通行を乗り越えたい
音楽をするとき、自分自身が最大限に表現することが大切だと思うのですが、それが他者の表現を奪うことになっているかもしれない、と感じることがあります。 演者がいろいろな人たちの前に立って演奏、演者の前にいる人たちが演奏を聴いてくれる。多くの場合、それで完結してしまう、というところに気持ち悪さを感じるのです。 今や、音楽はみんなが表現できる文化です。カラオケに行くと、若い人たちがあふれんばかりの表現をしていることがあります。 音楽は苦手だという人はいても、音楽は嫌いだという人は少ないはずです。本当は自分も音楽で表現したいけど、自信がないからできない、という人が大勢いるのだと思います。 私は、音楽で表現をしたくてしたくてたまらない、という大きな大きな欲求をもっています。 だから、自分の音楽表現を殺したくない。でも、私が表現をしていると、だんだん自分の表現を誰かに押し付けるのは嫌だ、と感じてくるのです。あなたにも表現してほしいな、と。 そういう時に、私の音楽表現を殺さずに、他者の音楽表現を許容するようなツールが必要なのです。 ジャズはそういうツールとしての許容力が大きいと思います。ジャズは、不純な音を許容し、異物を威圧したり制圧したりすることもない音楽の形式なのではないかと思うのです。
ジャズはライブの後に、お客さんとセッションをするということがよくあります。これって、私のように感じるジャズミュージシャンが多いということなんだろうと思います。
私はというと、コミュニティ音楽の場で、ジャズの可能性を探求したいと願っています。