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足元がぐらつく一方通行の音楽

  • Eiji TSUDA
  • 2018年3月1日
  • 読了時間: 2分

演者と聴者に分かれて一方通行の形式で生産され消費される音楽は、少しずつ足場がぐらついてきているようです。

音楽を演奏する人とそれを聴く人に分かれているという状態は、レコードやCD、テレビなどを媒体とする経済的価値を伴う商業的音楽シーンと深く関連しています。その前は、コンサートホール、おそらくその原型の教会の音楽シーンがルーツなんだろうなと思います。

最近はちょっと変わってきたらしくて、一方通行の媒体は売れなくなってきているし、従来のひたすらプロの演奏を聴くタイプのコンサートの興行簡単ではないようです。その代わり、ライブの聴衆はステージで演奏されている音楽と一緒に歌ったり踊ったり、かなり自由に楽しむのが普通になってきたようです。アメリカの一般的な教会の音楽も、参加者みんなが歌ったり踊ったりして、昔の聖歌隊のイメージとはかけ離れたものが増えているようです。

ライブでも教会でも、音楽家は聴衆に聴かせるためのパフォーマーというよりも、聴衆との共演者、聴衆の伴奏者という意味が強くなってきているような感じです。

*_*

同様に、私も人の前で演奏するときには、聴衆も対等に音楽表現をするのが自然だと感じるのです。口ずさむのでも、手をたたくのでもよいのですが、それでは私が主役であることに代わりありません。

(西洋近代の音楽の価値観は、「私の表現」を超越した「普遍的な表現」をめざすことで、「私が主役」という気持ち悪さを乗り越えようとするんだろうなあ。違うかなあ。)

そこで私は、最終的には、身体を動かすことができるような状況をつくったり、打楽器類をずらりと並べてみんなで共演すしたりする方向で、場をつくっていくことになります。

そこでまた新たな課題が出てきます。そういう対等な音楽表現による相互作用を最大化しようとするための「音楽の質」と「働きかけの方法」についての課題です。

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