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小市民的幸福の時代~My Blue Heaven~

著作権切れの曲を新たにひとつホームページに貼りつけました。「私の青空」、原曲は「My Blue Heaven」という曲です。

この曲は、1924年にアメリカでポピュラーソングとして書かれたものだそうです。陽気な曲想で、ballroomで演奏するのにぴったりだったのでしょう。Jazzのスタンダードにも定着しました。

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1年間だけアメリカで生活していたことがあります。1984年ころのことです。それまでクラリネットを吹いていましたが、はじめてサックスを持たされました。古いアルトサックスで、今にして思えば調整もしたことのないような学校所有の楽器でした。

音楽の先生には、日本でクラリネットを吹いていたと伝えてありましたが、なぜか先生はサックスの経験もあると勘違いして、サックスを持たされました。ちょっと吹いてみたのですが、当然ながらサックスは楽に大きな音が出るので、すぐに気に入りました。後になってその先生、「え?あの時がはじめてだったのかい?」と驚いていました。今でも会うたびに言われます。嘘をついた覚えはないんですけどね。

アメリカの高校では、ジャズバンドに所属したのですが、音楽の先生に気に入られたようで、いろんなところに連れて行ってもらいました。その中に、ballroomがありました。そのころのアメリカには、小さな小さな村にもあったダンスホールです。休日にバンドの生演奏で村人たちがダンスをするわけですが、そのバンドでお前も吹いてみろというわけです。何を吹いたのか、どう吹いたのかなど、まったく記憶にありませんが、演奏する側から見た、楽しそうにダンスをしている人たちの情景は、強く印象に残っています。

ballroomはもうすっかり廃れてしまったようです。この前アメリカに行ったときに、「ここがballroomだったところだよ」という廃墟に連れて行ってもらいました。遠い昔の夢の跡でした。楽しいところだったんですけどね。なんだか生き証人みたいな気分でした。

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1924年に作曲された「My Blue Heaven」は、日本では「私の青空」と訳されて二村定一が1928年にアルバムを出したそうです。第二次世界大戦をはさんで、榎本健一がおちゃらけて歌い、その後も高田渡、大瀧詠一、石川さゆりといった人たちがカバーしています。どれもYou Tubeで聴けます。便利な時代です。

「狭いながらも楽しい我が家」という歌詞が印象的な日本語バージョンは、日進月歩豊かになっていく生活への期待に根差した小市民的幸福が想起されます。資本主義社会が順調に発達していた時代を象徴していたのだろうと思います。映画「Always 三丁目の夕日」のシーンが目に浮かびます。せいぜい1960年代に林立した公団住宅までで、マンションには似合わない曲です。

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そういえば、私が公団住宅に住んでいたのは、中学校時代の2年間だけです。狭い上に古くて、壁にはカビが生え、重たい扉は開きにくく、風呂は寒いしゴキブリは大量に出る家でした。母と二人暮らしで、その母も家にいないことが多かったのですが、それでも楽しく幸せな中学時代でした。公団住宅に夢の名残を感じたせいでしょうか。初めて確保した3畳のマイルームは、現在にも通じる私の原点のひとつです。

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